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わたしの世界

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2010年 04月 06日

理想は

理想は、
理想というか、望みは

そのままでいられる ということ。
何者でもなくて
宇宙を信頼していて
内側は静かな水面のように、ありのままを映し出せる

ゆらがない存在

なるほど
やっぱり言葉にするのはむずかしい。

飾らず
ありのままで
下心なく
自分を認めて
表現し
存在する

そんなかんじ?

わたし、こんな人たぶんすごく好きだし。

ここで存在すると、
たちまち周りの誰もが
きっと対等な存在になる

逆だな
そうでないと
そこで存在はできないもん

だからそういう人のそばにいると
気持ちよくなるはず

自分の力が感じられるから

# by 33mentai | 2010-04-06 01:24 | 思う事
2010年 03月 20日

ちょっと整理してみよう

さて〜、つい3日ほど前に、とんでもないことに気づいてしまった。
のんちゃん、きいて。
これ読んでくれてるののんちゃんだけのはずだからさ。

私がはじめて立ち上げたブログは、イラストものだったのだけど、
長い事放置状態で、イラストもアップする気もなく、
もっと言えば自分の描いたものを見るのもいやなくらいだった。
自分が発信していたその情報たちは、私のかけらとして、
バーチャルな宇宙の塵のようにむなしく漂っているな〜、
もう消しちゃおうかな〜。とか時々思いつくのだけど、
PCを開くときには、そんな存在はすっかり忘れてて、つまりほんとうに完全に放置していたのだ。

そして表現練習として、あらたにこちらのブログもはじめていたので、
エキサイトページに入れば、しぜんとこちらのブログにログインされている状態だった。

そうして、ついに3日ほど前、ふと思いたって、
あのブログ消しちゃおう。
いや、やっぱり消すのはしのびないので、せめてタイトルから名前を消しちゃおう、
と思って、ほんとう〜〜〜に久々にイラストブログにログインしてみた。

よくパスワードとか憶えてたよ、って自分でも感心した。
だって、2年ちかくログインしていなかった事がわかったから。

ログインしてみてわかったことは、
鍵つきコメントっていうのは、ログインしないと見られないのね。

2008年8月14日付けで、
とある出版社の方から、鍵つきコメントが2件。。。。。
うちの書籍にイラストを描いてください、
というものでした。

なんだ?
いたずらか?
と思ったんだけど、メルアド、携帯、会社の電話番号、担当者名
までちゃんとかいてある。
調べたらちゃんと存在する出版社さん。

この1年半、こんなメッセージに気づかなかった わたし。。。

さて、ここで
「わたしってばっかだな〜〜〜。仕事できたかもしれないのにっ。」
って思うわたし。と
「まあ、これがベストなタイミング。今から連絡すれば、イラストの仕事ができるかもしれない。
1年半前より今の方がよい仕事ができるってことよ。」
というわたし。

最初はまず後者の感想を持っていたのだけど、日が経つとなんかだんだん
2008年の8月だったら、ちょうどやりたかった頃だよ。スタートするにはいい時期だったよ。
何やってんだ、わたし。
そういえばあの頃いろんな創作してたよ。
仕事募集中って宇宙に広告出してたよ。
ちゃんと返事来てたんだよ。
なんで気づかない、わたし?!

と、めずらしく、「後悔」というのですか?
こんな感情がわいてきた。
あぁ、これは「後悔」でしょうか〜?
後悔ってこんな感じか〜〜、って今日一日味わってみた。

そうしたら、
いやまて、わたしはイラストの仕事したいのか?
という疑問が。
ど〜かな〜。
でも今何にもしてないので、家でできる仕事があれば助かるなーとは
ちょうど思ってた。
だって、ちょっと求人を見てみてもやる気も起こらないし、募集自体少ないし
どうしたもんかと悩んでたところだったから。

あらためて、自分の描いたものを久々に見てみたら、
まぁ、悪くないんじゃない?って
客観的に見られたし。

出版社の方に直接仕事依頼をもらってたことに
やっぱりうれしいって気持ちもわいてたし。
そうそう、
「あ、これが、嬉しいってかんじ?」
みたいな感情も久々に味わってみた。
う〜ん、これか〜。
評価された、ってこんな感じだったか〜。
みたいな。
よろこんじゃってるよ、わたし〜〜〜。
みたいな。

そう、そ〜んな気持ちがいろいろわいてきた3日間だったのだ。
自分がどんなふうに受け止めているのか、
味わいながらも観察してみた。

その出版社さんには昨日、メールしてみた。
1年半前のコメントへの返事。
どう思うでしょうね?
「あなたのイラストに一目惚れしました」
と書いてくださってたので、
それがほんとだったら、1年半なんてたいした時間ではないでしょう。
しかし、その間にこの人の目が肥えて、
気持ちがさめてしまっている可能性もあるし。

今のところお返事はありません。
また進展があったら書こうと思う。

自分の描いたものを
ちゃんとかわいがってあげないと、
入ってくるものにも気づかないんだね、
って事に気づいたよ。

もう少し自分を大切にしてあげることにしたよ。

のんちゃんもわたしにメッセージくれてたよね、
「ブログ読み直したよ」
とか、教えてくれたもんね。
どうもありがとう、だよ。

さ〜、
これからわたしはイラスト描くんでしょうかね?

楽しみだ。

# by 33mentai | 2010-03-20 02:37 | 思う事
2009年 06月 22日

不思議な感覚

自分自身に対する無価値観、無力感について。
これは確実に私自身しっかりと持っていると言えるけど、
私だけではなく、どうやらほとんどの人が持っているようで、
その事に気づいてなんか不思議な感覚を持っちゃった。
どうしてみんな同じような無力感を持っているのか。
とても不思議。
これはどうも個人的なものではないのかもしれない。
人間に刻み込まれているものなのかもしれない。
無意識のうちに人間は、自分を自分でいじめている。
あたりまえのように。毎日、毎瞬。
それでなにかいい事あるのか?
そういうのが好きで楽しんでいるのならそれで何も問題はないけど。

自分に価値をつけるために、「がんばって」いる人もたくさんいる。
それが好きで楽しんでいるのなら、それでいいんだと思う。
それに「がんばって」いる人は、それだけで、周りから認められる可能性もある。
周りに認められる事が目的ならば、もうそれで目的は達成されている。

少し前に、宮崎駿の「ポニョ」の制作ドキュメンタリーみたいなのがNHKで放送されてて、
脚本に行き詰まって何日も苦しんでいる時に、言ったのが
「いい作品をつくらなくては、自分が生きている価値がないような気がする」
という言葉で、私はものすごくびっくりした。
というか、がっかりしたというか。。
これってどういうメーッセージ?
宮崎駿の特別なファンではないけれど、根底のメッセージにもしかして
「無価値観」があるのかな〜とか思っちゃった。
私は「ポニョ」も見てないし、実際はわからないけど。

あ、でもTVではそういう内容が一般的なのかも。
「一般的な価値観」の中で完結しているから、
いつのまにかその「一般的な価値観」が真実だと思い込んでしまってたりして。
私も、とっても狭い視野で、「現実」というものを設定していたと思う。
意識してないと、たくさんの偏見でものを見てしまう。

私も「周りに認められたい」、という願望は持っていたけれど、
ちょっと考えて突き詰めれば、やはりただ自分の「無価値観」を埋めたいだけで、
きっと、周りが少し認めてくれたからってこの穴は埋まらない、と気づいていた。
だから私はそのためには「がんばれない」。

それに、「価値を持っていると思われる人」と「そうでない人」という違いで
私自身が周りを見る事もいやだった。
私はそういうとことから解放されたかった。
解放してあげられるのは、やはり自分だけなんだけど。
自分でできるとわかると、こっちのものだね。
私はそのへんですごく自由になれてる。

ところでそのたくさんの人がもっている、無価値観について、
なぜだかこないだまで、自分ひとりの感覚のように感じてたけど
(人の事そんなに考えてないんだね)
みんなよくしってる慣れ親しんだ感覚だったと気づいて、なんかおもしろいなぁ、と思っちゃった。
私から見たら、何でも持ってて人の役にもたっていて、十分周りから、社会から認められているような人でも、
中身は無力感と無価値感でいっぱいだったりする不思議。
自分で自分を認められない。
この感覚、どこで習ったことなんだろう。
そう考えると、不思議な感覚が広がっていく。。

# by 33mentai | 2009-06-22 17:40 | 存在として
2009年 06月 19日

ずっと求めているもの

私がずっと求めているもの。
それは、納得のいく回答。
なんで生きているのか、なんで産まれてきたのか、
人間とは何なのか?
死んだらどうなるのか?
宇宙ってどこにあるのか?

自分の存在そのものの意味が知りたくって、
自分なりに求めてきた。
ほんとうに、今までどれだけの本を読んできただろう。
最初の衝撃は、19歳の時。
図書館でみつけた「シャーリー・マクレーン」。
シャーリーの本は今も手放さず、全部持っている。
そして、きのう、何年ぶりかに1冊読み返してみた。
もう何度も何度も読み返してきたんだけど、
この10年は全く読んでなかったな。
このへんはもうわかってるから、もう発見もない、みたいに思ってたんだろうと思う。
でも、原点に帰りたくなって、その前の日には
「アウト・オン・ア・リム」のビデオまで見てしまった。

そして、やっぱりあらためて気づくことが必ずある。
私は今までこの本のどこを読んでたのだ?
と思うほど、わかってなかった部分に気づく。
まあ、その時期がこないとわからないものだって、
そういうことはわかってるんだけど。

でも19歳のころよりも、どうやら私の「幻想」は濃くなってきているということかもしれない。
あのころの方が目覚めてて、今の方が深い眠りの中といえるのかも。。
ああ、そうなのかも。。

最初に書いた、その「回答」に関しては、
人間が生きているあいだには出ないのだろうという
ひとつの「回答」を私は出していた。
だからといって、気が済むはずもなく、やっぱり求め続けているんだけどね。

そういえば、あのころ、人間性回復セミナーなんかも受けたなぁ。
今となっては時代に合わないものだろうけど、すごい「意識体験」だった。
あれは「人間」の勉強だったと思う。

こうして今いろいろ書いているのは、やはり「表現の練習」として。

自分の深い「恐れ」っていうのに自分ではなかなか気づかないものだ、ってもうずっと聞いてきた事なのに、
私はそんなのわかってる、って思い込んでて、でもこんなに自分自身を探求してきたつもりの私が、
実は自分のこんな身近な「恐れ」にまだ気づいていなかった事にきのうやっと気がついたよ。
私は「表現」に恐れを持っている。
こんな、ひっそりと書いているブログにさえ、ものをかくのに躊躇する。
これは慣れのもんなのかな。

ただ、今は自分のためにかいておきたい事がいろいろあるので、
この表現の練習というのをまた続けてみようと思う。

# by 33mentai | 2009-06-19 01:22 | 存在として
2009年 04月 05日

地球生活、人間時間41年目に

たった今、突入!
もちろん、これといって変化はない。
ただ、この瞬間ひとりだった、というのはちょっとおもしろい。

春って、変化が多い季節で、大人になっても過去のその不安定な感じとか
新しい気分とか、そういうのがごちゃまぜになって、そんで急に暖かくなったり、
とにかく外界が騒がしいイメージ。
桜が咲き始めたら、その美しい満開の姿をなんとか見ようと思うし
見たら見たで翌日にはみすぼらしくなってしまった木を
はかなく思ったり。
とにかく桜のせいもあって、この季節は心がざわざわしている。
桜がちょうど満開の時期産まれた私は、名前が「さくら」でもよかったんじゃ〜ないのか、
と思うくらい私の中で誕生日と桜が結びついてしまっているのだ。

今年はうちの近所の桜はまだ満開ってかんじでもなかったので
まだ全然お花見気分はない。
でも今日あたりきれいなんじゃないかな。
起きたら近所に花見に行くかな。
参道が桜並木だし、人はいないし。静かに歩けるからね。
天気もいいそうだし。。

こんなほぼ放置状態のブログって、今後いつくらいまでおいといてくれるんだろう。
例えば、10年後にもこの文章は、web上のどこかで存在してるのかな。
ず〜っと忘れてたそのページにたまたま自分が出会ったりする未来があるのかしら。
読んでも自分のものだって気づかない可能性の方が高いけど。

今とりあえず他にする事が思いつかないもんだから、
こうしてキーボードを打ってみただけ。
することがない、ってすごいな〜って
体験を味わってます。

思い通りの今だ。。。

# by 33mentai | 2009-04-05 00:22 | 思う事